長野県の中南信に暮らしている人は、長野県のことを「長野」といわず「信州」と呼ぶと聞いたことがあります。これはなぜですか?
当記事はこんな疑問を抱えている方が対象。
長野県はさまざまな伝統や文化を持つ県として知られるが、そのなかでも実に興味深い風潮がこれだ。
結論からいうと、これは古くから対立し続ける長野市vs松本市が強く影響している。
「仲良くしなさいな」で済まないからこそ、信州という名前にこだわる長野県民が存在しているのだ。
とはいえ、これは絶対的な風潮とは言い難い。
特定の長野県民でも、信州と呼ばない人が存在するからだ。
当記事では、長野県民の一部がなぜ自県を「長野」ではなく「信州」と呼ぶのかをまとめた。
「信州」という名前が生まれた背景なども紹介しているので、興味がある方はぜひ参考にしてみてほしい。
信州という名前の由来
そもそも「信州」という名前の由来は何なのか。
諸説あるが、以下の2大要因から成り立っているとみていいかと。
- ①:信濃国(しなののくに)
- ②:禅宗の留学僧による呼称
本題をはやく知りたい人は、次項まで飛ばして頂いてOK。信州について理解を深めたい人はこのまま読み進めてほしい。
それでは上記の2つの要因を紹介する。
①:信濃国(しなののくに)
信州は古代の地方行政区分「信濃国(しなののくに)」に由来するという説がある。
信濃国(しなののくに)
かつて日本の地方行政区分だった国の一つで、東山道に位置する。領域は現在の長野県とほぼ同じ(旧神坂村・旧山口村が岐阜県中津川市に編入される等の微妙な差異はある)。信州(しんしゅう)と呼ぶこともある。引用:人力
信濃国は現在の長野県に相当し、7世紀代には「科野国(しなののくに)」として知られていた。
この科野国という名前は、地域に自生する「科の木(しなのき)」や山間の地形を意味する古語「科(しな)」からきている可能性が高い。
シナノキ(アオイ科シナノキ属の落葉高木)
②:禅宗の留学僧による呼称
信州という名前が使用されるようになったのは、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて。
帰国した禅宗の留学僧たちは、信濃国を「信州」と略して呼ぶようになったという。
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、南宋から帰朝した禅宗の留学僧によって「信州」と称されるようになった。治承3年(1179年)に仁科盛家が覚薗寺に寄進した千手観音像の木札に「信州安曇郡御厨藤尾郷」とあるのが初出である。
引用:Wikipedia
この略称はやがて世間に定着し、現在に至ると考えられている。
長野県を「長野」ではなく「信州」と呼ぶ県民のなぜ
長野県を「長野」ではなく「信州」と呼ぶことのある県民は、主に以下の地域に暮らす人々だ。
- 中信地域(松本市・安曇野市など)
- 南信地域(諏訪市・伊那市など)
筆者は中信出身・在住のニンゲン。
やはり自県を「長野」とは呼ばない。
かといって「信州」と呼ぶことも滅多にない。県外に行ったときやインターネット上では区別をするために「信州」と言うこともあるが、ふつうに長野県と呼ぶことが多いなと。
では、なぜこういった風潮があるのか。
中南信勢はなぜ自県を「長野」と呼ばないのか
長野県の中南信地方に暮らす人々は、自県を「長野」と呼ばないケースがある。
その理由は「長野=長野市」だからだ。
文字にすると極めてシンプルだが、実際は長野市と松本市のドロドロとした歴史がまとわりつくように強く影響している。
そんな両者の対立は明治時代からはじまった。
- 県庁所在地の移転
- 分県
- 県会紛糾や放火騒ぎ
これらの問題は抗争へと発展し、解消されないまま続いてきた。だからこそ、中南信の人々は県の名前が入った「長野」という文字と響きを嫌うのである。
関連記事
歴史背景から「信州」と呼ぶ層はもはや少数派?
長野市と松本市の問題は、現在も特定の年齢層に大きな影響をあたえている。しかし、若者たちはこの事実を知らないし、知っていたとしても意識しないケースも。
つまり、長野県を歴史背景から「信州」と呼ぶ層は、限られてきているのではないかと。
それに先の歴史に関係なく、長野県を「信州」と呼ぶ県民は少なくない。彼らは「信州」という呼称に愛着やこだわりを持っているため、普段から好んで使用しているのだ。
もはや歴史に影響されている長野県民は、少数派といえるかもしれない。
長野県を「長野」と呼ぶ中南信勢もいる
これは今にはじまったことではないが、長野県を「長野」と呼ぶ中南信勢も存在する。
したがって、一部の長野県民が自県を「長野」でなく「信州」と呼ぶ風潮は”絶対”ではないのだ。
歴史は人々に多大な影響をあたえるが、今回のようなケースは法律があるわけでもルールがあるわけでもない。つまりは、何をどう呼ぼうと自由ということ。
自身の価値観を他人に押し付けないよう注意したいものだ。
長野と信州に関するQ&A
長野と信州に関するQ&Aについてまとめた。
情報収集や問題の解決にどうぞ。
Q1:長野県と信州の違いはなんですか?
A:結論からいうと、長野県と信州は同一。
私たちの県は長野県という県名を持ちながら、信濃、信州と呼ばれています。
引用:須坂のまるごと博物館
そもそも「信州」は「信濃」の別称。
信濃は長野県の旧国ともいえるので、長野県は信州と解釈できる。
Q2:信州は山梨県も含まれるのですか?
A:山梨県は含まれない。
信州は長野県の別称。
ちなみに山梨県には「信州」という、ほうとうの有名店がある。
まとめ
長野県民の一部が自県を「長野」と呼ばず「信州」と呼ぶ理由について解説した。
個人的なまとめはこんな感じ。
- 「長野」と呼ばないのは「長野=長野市」だから
- 中南信勢がこぞって「信州」と呼ぶわけではない
- 歴史に縛られる必要はない
やがて「長野」と「信州」呼びにおける問題は姿を消すだろう。
だって「長野県」と呼べば済む話なので(爆)。
長野県の歴史や雑学を知りたくて仕方ない人向け
【あわせて読みたい】当ブログおすすめ記事一覧
コメント