かつて長野県中信地方でバス釣りの”聖地(メッカ)”と呼ばれていた湖がある。
塩尻市洗馬にある「沓沢湖(くつざわこ)」だ。
当時は長野県のアングラーがひっきりなしに訪れた沓沢湖だが、釣りが全面禁止になると一気に人気がなくなり怪しい湖へと変貌。
そして耐震性の問題から、現在は水が完全に抜かれ埋め立て地になっている。
当記事では、そんな沓沢湖の現在と思い出をまとめた。
沓沢湖の現在
まずは沓沢湖の現在からまとめたい。
現在の沓沢湖は完全に水が抜かれ、埋め立てられた状態になっている。
水が抜かれた理由は、釣り人のマナーが問題ではない。
耐震性の問題をクリアできなかったからだ。
地震によって崩壊する可能性が少しでもあるのなら放置はできない。塩尻市は近隣住民の安全を確保すべく、湖の水を抜き役目を終わらせる決断をした。
その詳細は「塩尻市水道事業経営戦略」にて確認できる。
沓沢湖を水源とする芦ノ田浄水場については、堤体の耐震性や原水水質の悪化により取水を停止し休止した。今後は、施設の撤去や跡地利用について検討し、資産の有効活用を図る。
引用:塩尻市水道事業経営戦略
こうして沓沢湖は、水系としてのさまざまな役割を終えた。
現在は当時の姿を知る者にとっては、なんとも切ない状態になっている。
はたして魚たちはどこへ消えたのだろうか…。
私と沓沢湖が出会ったキッカケ
私が沓沢湖と出会ったのは、小学校5年か6年生のとき。
当時はバス釣りブームが到来したこともあって、私や友人はブラックバスが釣れる水系として有名だった「沓沢湖」へと足を運ぶことになる。
これをキッカケにバス釣りにハマっていくのだが、所詮は小学生の遊び。ただキャストして楽しむことが目的であって、まともに釣り上げたことなど大してなかった。
もっといえば、当時の沓沢湖はつねに”満席の釣り堀”状態。間詰めをねらうかテクニシャンでもない限りは、釣り上げることなど至難の業だったといえる。
夜になってもアングラーが数十名いたレベルなので、湖に静寂が訪れるのは深夜くらいだったはずだ。
スレたブラックバスを攻略しはじめた中学時代
中学生になった私は部活(サッカー)に励みながらも、暇があれば友人と沓沢湖に訪れていた。
すでに”遊び”は卒業し、スレたブラックバスをいかに釣り上げるかを試行錯誤するように。
沓沢湖の規模はけっして大きくはない。
野池よりは大きいが、一般的な湖よりは小ぶりだ。
そんな小さな湖は休日にもなると釣り堀状態。
正当にアタックしても釣れるわけがない。
沓沢湖のブラックバスたちは、連日プレッシャーに晒されていた。そう、イージーな魚などおらず、すべての魚がスレスレだったのである。
しかし、早朝だけは唯一ブラックバスたちの気が緩む時間帯だった。
当時流行した『常吉ワーム』をスプリットショットでズル引きすると、数本は釣り上げることに成功。この時間帯の沓沢湖は、まるで天国のようだった。
高校に進学すると共に釣りから遠のく
高校に進学する共に、私は音楽に没頭しはじめたこともあって釣りから遠のいた。
大学は県外に。
卒業後は東京に暮らしたこともあり、30代前半まで竿を振らずにいた。
バス釣りを再開したのは、2017年春の小坂田池にて。
再びドハマりすることになるが、すでに沓沢湖は全面釣り禁止になっていることを知る。
沓沢湖のありがたさを痛感したね、そのときは。
ホント贅沢だったなと。
スレたバスをいかに攻略するかに燃えていた当時は、バス釣りを純粋に楽しめていた気がする。
その記憶はきわめて強いものだ。
だから、沓沢湖が何度も脳裏をよぎる。
こうして私はかつての水系を眺めるべく、久しぶりに車を走らせた。
埋め立て工事中の沓沢湖に言葉を失う
2018年10月初旬。
沓沢湖(堤防サイド)に到着すると、かつての姿はどこにもなく草木が生い茂っていた。
ショックだった。
胸が締め付けられるあの感覚をあじわった。
石碑も悲しそうな表情をしている。
かつて水があった場所に目を向けると、トラックがいくつか見えた。
切なさを感じながら橋サイドへと向かっていくと、目の前に現れたのは工事中の看板やバリケード、そして警備員だった。
そう、絶賛工事中だったのだ。
警備員さんに現状について尋ねると、以下の返答が。
おいおい、マジかよ…キレイになくなっちまうのか?
現実を受け止めるまでに時間がかかった。
私は当時のポイントを思い出しながら、ここでの至福の時を呼び起こす。
「そういやあの角で20cmくらいのバス釣ったな」
「あのワンドでバカでかい鯉を見たっけ」
そんな思い出の場所が整備されている。
全盛期のいい思い出ばかりが蘇ってきて泣けてくる。
すると、どこからともなく塩尻市の役員がこちらにやってきた。彼にも今後の沓沢湖がどうなるのか聞いてみると、返答はこうだった。
諸行無常。
形あるものはいつか滅びる。
現実を受け止めるしかない。
涙で滲んだ思い出を強引に押し込めて、私は沓沢湖を後にした。
まとめ
沓沢湖は埋め立てられてしまったが、思い出は記憶に残っている。
沢山の喜びをあたえてくれて、本当にありがとう。
アンタレスでブラックバスを攻略
コメント
2019.9.25
私も久し振りに沓沢湖に来てみました。
45のおっさんですが地元なので20代の時はよく来ていました。ホントにスレスレでロクに釣れなかったけどとても静かで空気も良くて気持ちのいい湖でした。
が、期待していたのと裏腹に埋立てていてあまりにショックで調べたらここを見つけました。本当に涙が出ますね。
あの頃のあの感じを感じられなくなるのはとても悲しいですね。
ひでさん
コメントありがとうございます。
今はもう見る影もないですよね。
当時の沓沢湖は釣りブームと重なって、とんでもない数の人が押し寄せたのでプレッシャーは相当のものだったと思います。
魚がスレるのも無理はないというか。。苦笑
耐震上、埋め立ては仕方なかったかもしれませんが本当に残念でなりません。
沓沢湖、その昔は桟橋がありレンタルボートもありました。
もっともバスが入ってから消滅しましたけどね。
アルミで毎日ってくらい釣りしたなー。自分らはボーターだったので良く釣れた覚えがあります。以前はスモールも居て増えるかなと思ったけど、まあ 所詮は溜池なんで環境が合わなかった様ですね。
彼処は元々釣り禁ではなく、地元のオッチャン達も何人か釣りしてましたよ。湖水は塩尻市の飲料水として使用されてました。
水抜きの直接的な理由は耐震面ですが、釣り禁の理由はやはりバスです。
自分が通う様になった頃は人も少なかったけど、ブームで釣り人が増え始め荒れ出しましたね。
沓沢湖管理委員会ってのがあって、そこの親方がある時期から変わったのですが、その新たな委員長が塩尻市議だった人で、その人が釣り禁を強く言い出した様です。
地元、小曽部の集落の釣り好きオッチャン連中も釣り禁には反対したらしいですが、その市議くずれの人が発言力の強い人だったらしく……。
沓沢が禁止になった事も荒廃したのもはっきり言って我々バサーのせいです。大学生(中京方面の他県ナンバーが多かったので、おそらく歯科大生と思われます)が沢山来る様になった頃から目に見えて荒れた様に感じます。
我々も目に余るものやあまりに常識外れな行為は必ず注意してましたが、いたちごっこでしたね。
バサー全てが悪いとは言いませんが、バス釣り云々以前に常識のない輩が多すぎますよ。
田溝も堰堤側と東の山側バンクは禁止なのですが、当たり前の様にそこへ入って投げてるし、路駐も目に余るモノがあります。
小坂田では既に警察の摘発(桟橋外、フェンス内での釣り)も頻繁に行われているし、小規模な野池は「バスが居るから人がくる。一度干してしまえ。」って短絡的な方向に行きがち。
結局割を食うのはその水域の生き物なので 我々は本当にマナーとルールを必ず守って遊ばなければなりませんよね。
ちなみに、美鈴湖は入漁料を払えばバス釣りできます。
ただし、釣ったら必ず殺す事を求められるので行きませんが。
自分がバス釣り始めた約40年前は 最先端のカッコいい遊びでしたが、いつの間にこんな肩身の狭い遊びになってしまったんでしょうね。
コメントありがとうございます。
桟橋、レンタルボートがあったことはまったく知りませんでした!!ということはその昔、釣りが一般的に許可されていたんですね。
私がはじめて沓沢湖に行った時はすでにグレーでしたのでビックリです。貴重な情報をいただけたこと、心より感謝致します!
まだ当時の情報などご存知でしたらコメントいただけると幸いです。
山城を見るのが好きで近くの妙義山城に登ったついでに沓沢湖によったのですが既に水が抜かれてました。とても静かです。Wikipediaに湖畔にある沓沢温泉というのが載っていましたが、場所はどこなのでしょう?今も入れるのでしょうか?地図には載っていませんが···。昔は観光地化する計画があったのでしょうか?今からでも埋め立てた場所を公園化して温泉を引けばいい保養地になりそうかも。
コメントありがとうございます。
現在の沓沢湖は見るも無残ですからね。。本当に残念に思います。
さて、沓沢温泉ですがトンネルへ向かう橋がかかっているエリア手前に存在していました。
今から20年前には施設としてありましたね。
公園化が実現したなら最高ですよね。
とはいえ、住民の理解が得られないかもしれません(沓沢湖時代の釣り人のマナーは最悪そのものでしたので・・・)。